3月3日(日)礼拝説教全文
「真理は自由を与える」 ヨハネ8:31~47
能登半島地震の被災者の方々の癒し、復興の為に祈りましょう。
先週の礼拝では「私は世の光である。私に従う者は闇の中を歩まず、命の光を持つ」と仰ったイエスの言葉を聞きました。そして、イエスの証しは真実であり、神の命の光に照らされなければ見えないもの、見えない世界があることをお話ししました。
本日のメッセージのテーマは「真理」です。
新約聖書のコイネーギリシア語では、「真理」は「アレイセイヤ」という語が使われて、「覆いを取り払って事実を明らかにする」という意味で、神と私たちの間にある覆いが取り除かれて悟るものが「真理(アレイセイア)」です。
イエスはこの真理を得る道を次のように言われています。
先ず、「私の言葉にとどまるなら(:31)」、そして、これと並列する言葉のように、「あなたがたが信じるなら(:46)」、そして、「あなたがたが聞き従うなら(:47)(新改訳)」と言われています。
「イエスのみことばにとどまるなら、真理を得ます。」みことばにとどまるとはどういうことでしょうか。
1、 みことばにとどまるとは…
イエスのことば・御業・約束を(イエスご自身を)素直に信じて従うこと、いつも心にとどめてそれに生きること、その日常をイエスと共に歩んで生きることです。
その継続と実践の中で、その歩みの中で、私達は真理を得ます。
私たちが得る真理とは何でしょうか。
2、 真理とは何か…
イエス・キリストは、ただひとりの生ける神の御子、救い主です。
十字架の贖いこそが、私を罪から救います。
聖書の約束(神のことば)は実現します。
聖書の神のみことばは、私の人生に生きて働いて、私を救います
真理とはイエス・キリスト御自身です。
イエスを知る(体験する・経験する) *(例)人が人を深く知ること
イエスを知る知識
イエスというお方が 私の人生にとってどのようなお方であるのか…開かれていくページこそが真理です。(聖書を開いていくに従って真理を知ることができます。)
イエスの語る真理とは、神からのことば、「神から聞いた真理(:40)」です。
真理とは神ご自身であり、偽りは悪魔です。
サタンは偽りの父であり、神は真理の父です。
真理についてのイエスの言葉に耳を傾けましょう。「真理はあなたがたを自由にします」
3、自由とは何か…
ユダヤ人たちは、「私達はアブラハムの子であって、奴隷ではない。」と言います。イエスは、私たちが何の奴隷だと言われていて、何から解放され、自由にされなければならないと言っておられるのでしょうか。
自由を得なければならない私達は、何の奴隷なのか。
それは「罪の奴隷です(:24)」。
罪の奴隷から解放されること。罪の縄目、鎖に繋がれている者が、解き放たれることこそが、真理の与える自由です。
罪の支払う報酬(償い)は 死ですが、罪から解き放たれた者は、命を得ます。(ローマ6:23)
人は罪という鎖に繋がれています。その鎖は人を死に導きます。
死に繋がれていた者が解放されて(自由にされて)、命に結ばれた者へとされることこそ真理の与える自由です。
イエスに従う者は、自らの欲を満たすことよりも、イエスに従うことを選びます「わたしのことばがとどまるなら」とはそういう意味です。イエスのみこころを行おうとする(している)ことにより、罪を犯さないというのです。しかしそれは肉の力ではイエスのおこころを行えません。聖霊の助けによります。
自らの願いではなく、イエスのみこころを優先するならば、人は自由を得ます。
そして、その究極の実践は、神の愛、キリストの愛の実践です。愛(神の愛アガペー)に生きることです。
「わたしの語る真理を信じない者は、偽りの父(悪魔)から出た者、罪の奴隷です」、は非常に厳しいイエスの言葉です。
私たちには自分の願いがあります。
良い行いと悪い行いがあります。
これは健康に悪いものだから食べない方が良いという選択を迫られる時にも、私たちは良い方を選ぶことができません。これは受け取ってはいけないお金だと分かっていても、良い方を選ぶことができません。
* 先日100円均一で300円のスリッパを2足買って、一足分の計算しかされていませんでした。お客さんが並んでいて支払いも終わっている。レジの人の打ち間違いです。そのままにしていても・・・と思ってしまいます。時間はかかりましたが、もう一度レジに並び直して一足分お金を支払っていないことを伝えて、正規の代金を支払いました。当然ことだとは思います。しかし、良い選択ができないのが私達です。
自由とは、束縛されていない、自分の好き勝手にできるということではなく、良い方を選択できる、良い生き方を選択できる、良い人との関りを選択できる自由です。悪いと思ったら、プライドや対面を捨てて、ごめんなさいと言える自由です。私たちは罪の為に正しく生きる選択ができない。それが罪の奴隷です。その選択はあなたのすべてを壊していきます。
今日は踏み込んで言いますが、イエスが私たちに与える真の自由とは、単に良いことを選択する以上に、神のみこころ、神に喜ばれる方を選択することのできる自由です。イエスを信じない者には、この自由はありません。なぜなら、信仰がなければ神に喜ばれることは何一つできないからです。信仰がなくても良いことはできます。しかし、神のみこころを行うことはできません。罪の下にあるからです。イエス・キリストの十字架の贖いによって、信仰によって、罪の赦し、救いをいただいた者のみが、神のみこころを行う自由を得ます。なぜならば、神のみこころは、ご自身の御許から遣わされた御子、イエスを信じることだからです。
4、ふたたび、真理とは何か…(ヨハネ14章、18章から)
ヨハネ14章、18章は、再び「真理」についてイエスが語っておられます。
真理とは何か。それはイエス・キリスト御自身です。
「私は道であり、真理であり、命である(ヨハネ14:6)。私を通らなければ、誰も父のもとに行くことができない。」
道とは イエスに目を向け、イエスと共に歩むことは、真理の歩みであり、進むべき方向です。従う
命とは イエスご自身が、真理の食物 生(せい)であり、それがなければ生きていけません。持つ(与る)得る
真理とは イエスを知る(経験する)ことこそが、真理の知識であり、耳が、目が開かれることです。知る
真理の御霊(ヨハネ14:17)
真理とは何か。それは真理の御霊です。
聖霊はあなたがたにすべてのことを教え、イエスのことばを思い起こさせます(14:26)
聖霊という弁護者が今年のホーリネス教団の年間指針ですが、聖霊は真理の教師です。
聖霊の教えは特別で、知識というよりもむしろ、生けるキリストを私たちに体験させてくださいます。
それはイエスの御臨在です。
ここに主イエスがおられること、私の人生のどこにあってもイエスが共におられること(御臨在)を、何よりも聖霊なる教師が教えてくださいます。
ピラトの言葉;「真理とは何か」(18:38)
イエスの言葉;「私は真理について証しをするために生まれ、そのために世に来た。真理から出た者は皆、私の声に聞く。」
(18:37)
「神は、すべての人が救われて、真理を(イエスを)認識する(知る)ようになることを望んでおられます。
神は唯一であり、神と人との仲介者も唯一であって、それは人であるキリスト・イエスです。この方は、すべての人のための贖いとして、ご自身を献げられました。」(第一テモテ2:4-6)
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