7月7日(日)礼拝説教全文

「一人の人が民の代わりに死ぬ」 ヨハネ11:45~57 (ヨハネ12:24)

聖書教会共同訳 見出し イエスを殺す計略

ラザロが墓から生き返った後、イエスのなさった「しるし」を見て、多くのユダヤ人がイエスを信じました(:45)。しかし、その中の幾人かはパリサイ人のところへ行って、イエスのなされた事を報告します(:46)。神の大きな、偉大な「しるし」が何度もイエスによってなされますが、人々の反応は、信じる者と信じない者とに分かれます。何度も礼拝でお伝えしていますが、聖書の福音を聞いた者は、信じるか、信じないか、いずれかの答えを出さなければなりません。福音は「あなたはイエスを、生ける神の御子、あなたの救い主(キリスト)と信じますか?」とあなたに問いかけ、人を篩にかけます。

〇 イエスの反対者たち

ユダヤの最高法院(サンヒドリン70人議会)は、祭司とパリサイ人で構成されています。彼らは宗教的指導者たちで、日本で言うと国会と裁判所の両方の職務に相当していました。彼らは、今回のイエスがラザロを生き返らせた出来事を機に、議会を招集して彼の処遇について話し合います。

イエスが次々と「しるし」を行い、人々が熱狂しているにも関らず、何の手段を打つこともできず、それを見ている宗教的指導者たち。「この男は多くのしるしを行っているが、どうすればよいか。(我々は何をしているのか)。このままにしておけば、皆が(全てのユダヤの民衆が)彼を信じるようになる。」

今までローマに表面上は盾つくことなく、穏便に彼らが治めていたユダヤに、ひとりの指導者によって反乱が起こり、「そうなれば、ユダヤはローマによって我々の土地も国民も、私達の地位も特権も、全てを失うことになるだろう。」(:47~48)

その時、その年の大祭司カヤパが図らずも投げかけた言葉は、「あなたがたは何もわかっていない。一人の人が民の代わりに死に、国民全体が滅びないで済むほうが、あなたがたに好都合と考えないのか」(:49)でした。イエスを無き者にすれば、この国も私たちも今まで通り安泰である。「彼ひとりが犠牲になれば、全ての者が滅びることも危機にさらされることもない」と進言します。それは、その言葉の通りの内容でありますが、著者ヨハネは、この言葉は、大祭司が自分から言った言葉ではなく、(この言葉はイエスに対する殺害計画を意味しますが)、彼が時の大祭司であるがゆえに、神が預言させたことばである、と解説・記しています。それは、イエスが死ぬことによって多くの人が命を得るという預言である、と説明しています。

そこで彼らはその日、議会で議論して、祭司とパリサイ人が一致団結して(元々互いに反対勢力ではありましたが)、イエスを殺害しようと決議し、その日から具体的にイエスを殺すための計画を立て始めます。

ラザロが死者の中から生き返るという素晴らしい神の栄光が顕されて、イエスが神の御子としての「しるし」を行われた出来事は、イエスの「受難」への道を確固たるものとしていきます。

イエスの反対者たちの言葉によって、イエスがどのようなお方であるかが明らかにされています。

「彼は自分を神と等しい者のようにしている」

「何の権威があってこれらのことをするのですか」

「あなたはアブラハムより偉い方なのか」

「あなたはユダヤ人の王なのか」

大祭司カヤパが発言したイエス殺害の言葉は、神が彼に言わせた預言だとヨハネは記し、イエスの死の意味について解説します(:51、:52)

「国民全体、全ての民の為に」 それは直接的にはユダヤ人の為に…神の民と呼ばれるユダヤ人の為にということですが、全ての人(あなたを含めて)の罪の身代わりとなって、イエスは十字架で死なれた。これがあなたに聖書が語る福音です。ひとりの人が全ての民の身代わりとなって死ぬ。ひとりの人の死によって、全ての者が滅びることがない。これがまさに、イエスの十字架の死の意味です!この為にイエスは十字架で命を捨てられるのです。大祭司カヤパの言葉は、最も大事なイエスについての証言のひとつとなります。

さらにヨハネはイエスの死についての預言を解説します。

イエスの死は、国民の為にだけではなく、散らされている神の子たちをひとつに集める為にです。

散らされている神の子たち、直接的にはユダヤの離散の民を示しますが、聖書が私たちに語る福音は、イエスによる罪の赦し、救いの福音は、ユダヤ人だけのものではない世界中の全ての国民が、神の子とされて、ひとつにされて神の前に、イエスの前に集められる為です。

「神の子たち」とは=散らされている既に神の子である人たちと共に、イエスを信じて神の子供とされた者たちが、ひとつに集められる為にという意味です。

ヨハネはこの福音書の冒頭から、「しかし、言(イエス)は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には、神の子となる権能を与えた」(1:12)とイエスの福音を記しています。

イエスの死を通して、多くの散らされている人々が神の子とされて、神の御前に集められる。今がその時であり、そして、やがて神が用意される御国において、イエスにより復活されて、神の前に集められる時がその時です。

教会とは、イエスの死によって神の子とされた者たちが、神の前に召し集められる場所(エクレイシア)です。

今、聖書の預言は成就しています。神の民、神の子供とされた喜びを、今ここで持ってください。

私達は日本国民である以上に、イエス・キリストによって神の国の民である、と自覚してください。

それは国籍・人種・文化・習慣・性別、あらゆる境界線を越えた国です。

キリストに属する者、キリストの僕、クリスチャンとは、その国の住人です。

日本人ではありますが、イエスによって繋がれた真のイスラエル(血筋ではなく、新しい契約の民という意味での)人、神の国の民、イエスを王とする神の国の国民です。

かつて日本にもキリスト教弾圧という時代がありましたが、もし日本という国と、神の国の法律が異なるのであれば、神の国の民であることを優先する者たちです。日本国民以上に、神の国に対して責任を負っている者たちです。もちろん日本人でもあります。 * 国旗掲揚・国歌斉唱の問題

日本国民としての義務があるように、天国国民としての義務があります。

イエスが十字架で死なれたのは、私達が滅びることのないためです。

聖書の契約と無関係であった私達が、イエスの与える救いによって、神の子(神の国の民)とされて、神の契約に加えられ、契約の民であるイスラエルとひとつとされ、神のみ前に集められるためです。こうして召し、集められる為です。あなたは神の子とされました!わたしたちはキリストにあって、神の国の民であると告白しましょう。そして、それはあなたを、神ご自身のみ前に置くため(共におらせるため)の

神のおこころであることを知りましょう。神の御許に永遠の命があります。

* 過越しの祭りが近づいていた。 祭りでイエスを見つけた者は届出をしなければならない命令をサンヒドリンは出した。そして、届出をしたのは十二弟子のひとり、ユダでした。

竹田広志's Ownd

千葉県八千代市勝田台7-27-11 電話 0474-84-5045 牧師 竹田広志

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