9月15日(日)礼拝説教全文

「イエスの名によって祈る」 ヨハネ14:7~15 16:23~24 (15:16) 

イエスが弟子たちに与えた、新しい戒めは「私があなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」でした。イエスの教えの総まとめの様な内容です。そして、最後まで弟子たちを愛し抜かれたイエスの教え、新しい戒めです。 イエスの告別説教は14~16章まで続き、最後の食事の席での弟子たちへの大事な教えは続きます。 

「私(イエス)の名によって祈りなさい。」 それは、新しい祈り方です。 「今までは、あなたがたは私の名によっては何も願わなかった。」「よくよく言っておく。あなたがたが私の名によって願うならば、父は何でも与えて下さる。」(16:23~24) イエスが弟子たちに教えられたのは、父なる神への願い方、祈り方です。 イエスの名によって願い、祈ることです。

 「竹田先生、キリスト教ではどの様に祈ったら良いのか教えてください」と教会に来て間もない人や、聖書に接して間もない方が私に尋ねます。 そのような時、私は「神様に呼びかける最初の言葉は、『天の父なる神様』です。そして〈感謝の言葉〉、〈願いの言葉〉を告げ、最後に『主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン』と祈ってください」と伝えます。 信仰をいただいたら、「神をほめたたえることば」「悔い改めのことば」を言い表わすことを勧めます。 

「主イエス・キリストの御名によって祈ります。」は、私たちが必ず祈りの最後に付ける、イエスとの約束の言葉です。世界中のキリスト者が、イエス・キリストの御名によって(通して)お祈りしています。神に求めています。イエスがそのように祈りなさいと教えられたからです。これは、当然ではありますが、他の宗教の祈りの言葉にはない、キリスト者の祈りの特徴です。イエスが弟子たちに教えられ、私たちが引き継いでいる大事な教えです。2千年継承されています。 

 イエスの名によって祈る力と権威 「イエスの名によって祈る」ことは、単なる終わりの言葉ではありません。意味のないお題目、口先だけで実質の伴わないものではありません。イエスの名によって祈る祈りには、イエスの力と権威があります。「名によって」とは、神の保証であり、契約書類のお墨付き、実印のようなものです。この印(しるし)を通して、確実に有効な、何にも優った神への嘆願書が作成されます。イエスの名には、イエスの十字架の命と、復活の栄光が注がれています。 

* 例 普通のおじいさんが、副将軍になる瞬間 葵の紋章の力(水戸黄門の葵の紋所のようなもの) 「イエスの名によって祈る」その祈りに、私たちはどれくらい信仰的な自覚、必ず応えてくださるという期待、確信を持っているでしょうか。無自覚ではなく自覚して、この祈りは、確実に神の前に届いているという信仰をもって祈るのです。 

 イエスは、「私は父の許へ行き、あなたがたのために場所の用意ができたら(父の許に行かれる目的①)、あなたがたを迎えに来る。そして、あなたがたはいつまでも私と共にいる」と、弟子たちに約束され、「あなたがたは私を知っているので、父をも知っている。私を見たので、父をも見たのだ」と言われます。 その言葉を受けて、弟子のフィリポが言います「私たちに御父を見せてください。」 イエスは再び「父と私はひとつです。私は父のことばを語り、父のわざを行います。」それは、「父が私の内におられ、父が語り、父がなされるからです。わたしと父はひとつです。」 父を見せてください。それは、神を見せてくださいという問いです。私たちも「神様、あなたが見えなくて、私の信仰は揺らぎます。あなたの姿を見せて下さい」と願う気持ちになります。

そのような私たちに、イエスは「わたしを見た者は、父(神)を見たのです。」と言われます。 「神を信じ、また、私を信じなさい。」 イエスは弟子たちに言われます。「あなたがたがこれまで見て来た、経験してきた、数々の私の業(神の御子のしるし)によって、わたしを信じなさい。」

そして先があります「私を信じる者は、私が行う業を行います。もっと大きなことを行います。」 イエスのなされる様な偉大な業を、私たちは行うことができるのでしょうか。イエスと同じ業、もっと大きな業を行うとはどういうことでしょうか。 それは、世界中に散らされて行った多くのイエスの弟子たちが、イエスの御名によって、イエスの業を行うということです。イエスが病人を癒されたように、私たちが行って、イエスの御名によって願い、そこにイエスの業が現れるのです。イエスの御名によってなされる神の祝福は、私たちの信仰の業ではなく、イエスの業です。イエス一人が地上を歩まれてなされる業ではない。イエスの御名を携えた、イエスの弟子たちが、今も生きておられるイエスの業を御一緒に行うのです。

 父とイエスがひとつであるように、イエスとイエスを信じる私たちもイエスとひとつです。あなたがたは、私の名によって祈り(私の力と権威をもって祈り)、私の業を行うのだと言われます。 「私を信じる者は 私の業を行い、私の業よりもさらに大きな業を行います。」 「それは、私が父のもとに行くからです。」(父の許に行かれる目的②…これから話される聖霊を遣わすために) 私たちの内におられる御霊が働かれる。 

 あなたがたが「私の名によって願うことは何事でも私がかなえてあげよう。」 それは、父が子によって栄光をお受けになる為です。 「私の名によって願うなら、父が何でも与えて下さるようにと、私があなたがたを任命したのである。」(15:16)

 「よくよく言っておく。あなたがたが私の名によって願うならば、父は何でも与えて下さる。今までは、あなたがたは私の名によっては何も願わなかった。願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる。」(16:23~24) 

「その日には、あなたがたは私の名によって願うことになる。私があなたがたのために父に願ってあげようとは言わない。」(16:26)イエスが私たちの為に父に願うのではない、あなたがたが直接、私の名によって父に祈るのだという内容です。父と私たちを隔てるものは、イエスによって取り除かれました。牧師に代わりに祈ってもらうのではない。あなたが直接、父なる神に向かって祈るのです。今は聖霊の時代。その時が来ています。

今までに弟子たちも、世界中の人々が、「イエスの名によって」祈ったことはなかったが、これからは、私の名によって求めなさい」と、イエスは最後の夕食の席で弟子達に教えられました。 

 イエスの名の権威について 

「すべての名に優る名」ピリピ2:9~11 

実例:「イエスの名によって歩きなさい」使徒3:1~10 

クリスチャン=御名を呼び求める人 パウロ=キリストの名を全世界に運ぶ選びの器 使徒9:14~16 

私たちは、大胆に、信仰をもって、イエスの名によって「祈り」「求め」「祝福し」「癒しを運ぶ」者でありたい。ご自身の名に懸けて、必ず主はあなたのどんな祈りにも応えてくださいます。 

竹田広志's Ownd

千葉県八千代市勝田台7-27-11 電話 0474-84-5045 牧師 竹田広志

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