9月22日(日)礼拝説教全文
「弁護書である(助け主なる)聖霊」 ヨハネ14:16~26
聖書協会共同訳聖書見出し 聖霊を与える約束
イエスの弟子たちへの最後の教え、告別説教の続きとなります。ヨハネによる福音書14~16章で、大事な教えを最後の食事の席でされます。今日もイエスの弟子である私たちに、大事な教えを今ここで語って下さっている思いで、みことばに耳を傾けましょう。
本日は「弁護者である聖霊」が中心テーマです。
神は霊的なお方、肉体を持たない、目に見えないお方です。「神は霊である。だから、礼拝する者は、霊と真実をもって礼拝しなければならない」(ヨハネ4:24)。また、私たちも、目に見える肉体は持っていますが、霊的な存在です。 聖書にある霊的とか霊は、幽霊のようなという意味ではありません。人は肉体と精神と魂がある、という二元論・三元論的な表し方もありますが、聖書の示す霊とは、神や隣人と深い関わりをもって交わることのできる能力と言うこともできます。 創世記の中では、神が被造された人の特異性として、「神のかたちにこれを創造し」(創世記1:27)とあり、また、「土の塵で人を形づくり、その鼻に息を吹き込まれた」(創世記2:7)と記されています。
「神のかたち」とは、人に神と交わる能力が与えられて、霊的(目に見えない)な存在である神と霊的に交わる者という意味があります。「神の息(霊・風)」とは、特別な近しい存在であるという意味があり、「人」とは、上を見上げる者という意味があります。
目に見えるものが全てではありません。 私たちは目に見えるものと、目に見えないものによって支えられ生きています。 神は目に見えない霊的なお方です。このお方が、目に見える形をもって来られたのがイエス・キリストです。「私を見た者は、神を見た」。神が人となられて、私たちに神を現して下さった。それがイエスです。
13章から始まりました最後の夕食の席でのイエスの教えのここまでをまとめてみます。
裏切る弟子たちを最後まで愛し抜かれ、食事を共にされたイエス。(ヨハネによる福音書には聖餐の記事はありません) 弟子たちの足を洗われたイエス。
「私は父のもとへ行き、あなたがたのために場所を用意し、あなたがたを迎える。」「わたしは道であり、真理であり、命である」と言われたイエス。イエスがただ一つの父なる神への道、細い道です。
イエスが与えられた新しい戒め。それは「私があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」イエスが与えられた新しい祈り。それは「わたしの名によって願いなさい。」でした。
そして本日は、あなたがたに「弁護者(助け主)Παρακλητος(=パラクレイトス 助言者、仲介者、相談役、支持者、保護者)なる聖霊を与える、遣わす」です。(:16、:17、:26)
私たちの信じる神は、三位一体のお方です。三にして一つのお方。神は、神おひとりで交わりの神。神は愛です。父なる神、全能の創造主。子なるイエス、救い主。そして、聖霊なる神、弁護者(助け主)です。 パラクレイトスとは、援助の為にそばに呼ばれた者、とりなしてくれる人という意味合いがあります。ギリシア語では特に法的な弁護人として使われます。
(私はあなたがたの目には見えなくなるけれども)「この弁護者は、永遠にあなたがたと一緒にいてくださるお方です。」 この弁護者が永遠に共にいて下さることは、父なる神が、イエスが永遠に共にいて下さることと同じです。私たちの信じる神は三位一体のお方だからです。父なる神とイエスはひとつ。イエスと聖霊はひとつです。
「もうひとりの弁護者」。「もうひとり」とは、ひとりはイエス、ひとりは聖霊です。イエスに交代して父なる神から遣わされることを意味しています。今は聖霊の時代です。イエスが弟子たちを教え導き、共に歩まれたように、今、イエスの代わりに聖霊が私たちを教え、導かれます。 イエスは、父のもとから遣わされるもうひとりの弁護者「聖霊」を別の表現で「真理の霊である」と言われます(:17)。イエスはご自身を「私は真理である」と言われました。 皆さんは、「真理」を知りたいですか。聖霊が教えて下さいます。現わして下さいます。聖霊は真理であるイエスを現してくださいます。イエスの教えを悟らせて下さり、イエスの教えに生きる力を与えて下さいます。
ここから語られるイエスの言葉(:17~20)は少し難解ではありますが、聖霊という弁護者は目には「見えないけれど、あなたがたは知っています」。知るとは、人格的、愛の交わりです。「わたしを見なくなるが、(聖霊が私を示し、あなたがたは)見ます。」イエスは目には見えないけれども、私たちはイエスが私と共におられることを知ります。「わたしの戒めの中に、わたしの愛の中にいなさい。」イエスの戒めに生き、イエスの教えの中に、イエスの愛の中にいる人は、神が、イエスが、聖霊が、私たちと共におられることを知ります。共に住み、共に生きます。私たちの主は、インマヌエル(「神がともにおられる」の意)の神です。 「私は私を愛する人のところに来て、共に住みます。」 「私を愛する」とは、イエスのことば(みこころ、人格的な霊的交わり)を守ることであり、イエスの言葉にとどまる人は、イエスを愛する人です。それが、イエスが私の人生に生きて働かれる歩みです。
「神に従う」と「神のことばに従う」は連動しています。 また、「神を愛する」と「神のことばに従う」は連動しています。 「弁護者(助け主)である聖霊」は、「すべてのことを教え、私が話したことをことごとく思い起こさせてくださる。」(:26)とイエスは言われます。 イエスのみことばを思い起こす経験を私たちはします。聖霊がそうされます。 イエスのみことばが開いて光を放ち、みことばを悟る経験を私たちはします。聖霊がそうされます。 イエスのみことばに生きる(従う)力が与えられます。聖霊がそうされます。
イエスの最も大切な使命は、人となり、罪なき生涯を歩まれ、私たちの罪の為に死に、復活されることでした。 聖霊の最も大きな使命は、このイエスご自身の臨在を現し、イエスの生涯の意味を悟らせ、イエスの教えに生きる者とすることです。聖霊は常に、人となられたイエスを私たちに示すお方です。 聖霊は、キリストを私達に運んでくださるお方です。 聖霊は、キリストの愛を注いでくださるお方です。(ローマ5:5) 聖霊は、イエスを証詞されるお方です。 イエスの臨在を、聖霊が私達に運んでくださいます。
* メッセージの準備の時に感じるもの みことばを思い起こさせる聖霊の働き
「助け主」を「弁護者」と日本語に翻訳する方向性 新約聖書が書かれた時代背景には、キリスト教徒への激しい迫害がありました。裁判の席にキリスト者たちが引かれて行き、証言をする場合が多くありました。「聖霊」がパラクレイトス(弁護者)であることは、キリストの証人(殉教者)にとってどんなに大きな力だったでしょうか。彼らの傍らには弁護者である「聖霊」が立っていてくださるのです。「聖霊」は、人がどんな迫害や逆境の中にあってもキリストの教えに生き、命がけで「イエスは私の主である」と証言する力を与えてくださいます。
私たちがキリストの力強い証人として生きる力を、聖霊は与えてくださいます。
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