1月19日(日)礼拝説教要約
「神の子イエス・キリストの福音のはじめ」 マルコ1:1~8
私たちは、聖書の主イエスの記事をどの様に読もうか。2000年前に33年の生涯を歩まれた、人ならざることばと御業を成された驚くべきお方か。否、この聖書に記された主イエスはよみがえり、今、生きておられ、私と共におられ、語り、その御業を私たちの人生にも成し続けていて下さるお方である。
マルコによる福音書は、イエスの生涯を記した最初のものとされ、短く簡潔に全16章。マルコはイエスの弟子ではないが、イエスの弟子ペテロと一緒にいて(第一ペテロ5:13)、イエスの生涯について記したと思われる。この福音書の示すイエスの御姿は「受難の力あるしもべ」(イザヤ53章)。
「神の子イエス・キリストの福音のはじめ」。マルコによる福音書全体の表題のようなもの。
イエス・キリストの公生涯のスタートとして「バプテスマのヨハネ」の記事を記している。彼はイエスの生涯の進むべき道を、あらかじめ開拓して用意した。主役を迎える司会者、進行係のような役目。旧約聖書の多くの預言者たちが、救い主が来られるまでの道備え役であるとするならば、バプテスマのヨハネは最後の預言者といえる。彼は「罪が赦される為の悔い改めのバプテスマ」を説き、彼のことばを聞く者は、鋭く心刺され、深く自らの罪を認め、悔い改めて洗礼を受けた。しかし、ヨルダン川の水は人の罪をきよめることはできない。ヨハネは証言する「私よりもさらに力ある方が、あとからおいでになります。私には、かがんでその方の靴の紐を解く値打ちもありません。私はあなたがたに水でバプテスマを授けましたが、その方は、あなたがたに聖霊のバプテスマをお授けになります」。
イエスは力ある、偉大なひれ伏すべきお方である。間違ってはならない。
あなたが義なる神の前に、自らの罪を深く認め、悔い改める。これが「神の子イエス・キリストの福音」を受け取る第一歩である。そしてあなたの罪を赦すために十字架で血を流し、命を捨てて下さったイエスを信じること。自らの罪を悔い改め、イエスを信じる信仰によって、この福音を受け取ることができる。
聖霊は、力ある主イエス・キリストを私たちに与える。神の栄光を表すことのできない、神の前に死んだ生き方しかできない私たちに、神の命、永遠の命を与える。主イエスが授ける聖霊のバプテスマは、今ここに、私の心の王座に、私たちを愛し、今も生きておられる主イエスを体験させる。この福音を受け取った者は、全ての恐れは締め出される。喜ばずにはいられない。愛さずにはいられない。主イエスに従わずには、献げずにはいられない。
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