1月26日(日)礼拝説教要約

「あなたを愛し、あなたを喜ぶ」  マルコ1:9~15 “イエスを知るすばらしさの故に”

1、イエス洗礼を受ける(:9~11)        

 イエスはガリラヤのナザレ(30年間、大工の息子として育った町)から来られ、バプテスマのヨハネのもとへ来て洗礼を受ける。イエスがバプテスマを受けたのは、悔い改めの為ではない。イエスには罪がない。では、何故。それは、罪ある者のように、罪人の友のように(ピリピ2:6~8)、罪ある人の傍らに立つ為。イエスに洗礼を授ける事に尻込みし、靴の紐を解く値打ちもない者から、バプテスマを受けるイエスの姿はへりくだりの極み。私達と同じ位置に立たれるという言葉では片付けられない。

* マタイ11:29「わたしは心優しく、へりくだっているから」イエスの自己紹介。私たちの従っているイエスはそのようなお方。それゆえに安心して、喜んでついていける。

 良き模範。神に従う人として、洗礼を受けてその働きをスタートする。それは正しいこと、相応しいこと。

* 洗礼を受ける理由 イエスを信じる者が洗礼を受ける理由は(洗礼を受けて救われるのではないが、人は信仰によって救われる)、イエスが洗礼を受ける様に命じたから(マタイ28:19)。そしてイエスご自身が洗礼を受けられたから。信仰と告白はひとつであり、洗礼は目に見える形での信仰告白である。

・御霊の証。水から上がられると、天が裂け、御霊が鳩のように主イエスの上に下って来られた。イエスご自身が御霊に満たされた人。

・父なる神の証。天からの声。「わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ」。神の御子であり、神の義(満足)であるイエス。

 イエスを信じる者にも、父なる神は聖霊を与えて下さり、「あなたはわたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ」と宣言してくださる。イエスにある者が自己理解として常に身を置くところ。

 私達は日々の生活の中でどの様な、自己認識を持つことばを聞いているか。「きちんとしなさい」「もっとがんばりなさい」「どうしてできないのか」…。

2、イエス荒野で試みを受ける(:12~13)

 サタンの誘惑。肉の欲、目の欲、持ち物の誇り(第一ヨハネ2:16)。3つの試み。空腹を満たすパン、目をみはる奇跡、この世の栄華。

 40日間の荒野の誘惑は、出エジプト後の荒野野の40年に相当し、イスラエルは荒野で誘惑に会い(大きなものは飢えと渇き)、試みに勝利できなかった。人は悪魔に勝てない。イエスは、サタンの誘惑に(みことばによって)勝利される。「世に勝つ者とは誰でしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか」。日々世にある誘惑に打ち勝つ為には、力あるイエス・キリストの御名により頼むほかにない。

3、イエス神の福音を宣教する(:14~15)

 バプテスマのヨハネが捕らえられて後、イエスは宣教を開始する。宣教地はガリラヤ。ガリラヤの光栄(イザヤ9章)。

・「時は満ちた(来た)」。新しい時代の到来 待ち望んでいた約束、預言の成就。

・「神の国は近くなった」。神の国(kingdom of God)。神の王国、神の支配。

 神の国の到来。神の国は目の前まで来ている。既に来ている。

 神の国とは、イエスご自身がおられるところ。イエスのメッセージの中心テーマは「神の国、御国、天国」。神の国の王、主、祭り事を行われるのは神ご自身。

・「悔い改めて、福音を信じなさい」。イエスのくださる「救い」を受ける、神の国に入るには、悔い改めと信仰が必要。福音とはイエス・キリストご自身。その生涯。十字架と復活と顕現(第一コリント15:1~8)。

 時が来た!主イエスによる神の国は到来した。悔い改めて、福音を信じなさい。そして、神の救いを、神の国を受け取りなさい。時が来た。あなたにとっても決断の時!

竹田広志's Ownd

千葉県八千代市勝田台7-27-11 電話 0474-84-5045 牧師 竹田広志

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