2月2日(日)礼拝説教要約
「わたしについて来なさい」 マルコ1:16~20
* はないちもんめ 人の選びというもの
(並行箇所、マタイ4:18~22、ルカ5:1~11。参照、ヨハネ1:35~42)
イエスの十二弟子の四人はガリラヤ湖の漁師、二組の兄弟。シモン(ペテロ)とアンデレ。ゼベダイ(網元)の子、ヤコブとヨハネ。 十二弟子 漁師、熱心党員、現実主義者(リアリスト)、収税人、裏切り者など。
1、「わたしについてきなさい(Follow Me.)」 誰について行くのか。
イエスの招きのことば。イエスに従うとはどういうことか。彼らは、網、船、仕事を捨て、父と雇人を残して、すぐにイエスに従った。並大抵の事ではない。しかし、彼らはそうした。
私達にはしければならない事、やりたい事は多くある。仕事、家事、勉強、趣味。イエスさま、私の後ろにいて、助けが必要な時に声をかけますから、どうか私を助けて下さい。しかし、イエスに従うとは、そのおこころを受け止め、イエスの行くところへ、後ろについていくことである。イエスに従うとは、自分の旅、人生にイエスが加わって下さるのではなく、主イエスの旅に、自分が加わる事を意味している。 (献身の意味)
2、「人間をとる漁師」 人間をとるとは何か。
神の最大の働きとは、人が救われて神のものとなること。「神は全ての人が救われて、真理を知るに至ることを望んでおられる(第一テモテ2:4)」。
神は、問題を解決し、病を癒し、奇跡を行って下さる。主は力あるお方。しかし、目的はそこにはない。「人間をとる」ことがイエスの使命。とられた人間は、神のもの、その所有となる。神のご支配、愛の下へ、神の家族の中に戻る。本来の人のあるべき姿、いるべき場所への回復。イエスの働きとはご自身の命という代価を払って人を買い戻すことである。 サタンとこの世と罪の支配から、神の支配へと移された者。
そして、主イエスの十字架による恵み、救いを、ひとりでも多くの人が受け取ることができるように、その手伝いを愛をもってするのが、人間をとる漁師。全てのキリスト者の仕事。
3、主の招きに応えるのは今 いつこたえるのか「すぐに」 いつやるの? 今でしょ
今は時期が悪すぎます。今は忙しいのです。準備が整ったら行きます。私達は理由を述べる。自分の要件が終わってからではない。準備が整ってからでもない。後ではない。いつかではない。主の招きにこたえるのは今。
「人間をとる漁師にしてあげよう」=すぐになれるわけではない。主がしてくださる。主イエスに従う者を、主が変えて下さる。
イエスが選んだ弟子は、何か特別な才能や学があったのか。むしろ無学なただ人達である。彼らに自信があったわけでもない。彼らのしたことは、ただ、主の招きに、すぐに従っただけ。
私にはできません。能力がありません。知識がありません。そういう性格でもありません。私たちは言い訳をする。モーセ然り。
「私には何もできません。しかし、わたしのようなものをあなたが招いて下さるのなら、ただちに従ってまいります」とお応えしたい。
ペテロの大漁の記事。「彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた(使徒2:41)」。
主が召される人。=既に整えられたものではない。あの人には賜物があるから。能力があるから。主が私たちを 神の栄光を表すものへと 変えて下さる。
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