2月16日(日)礼拝説教要約
「わたしの心だ、きよくなれ」 マルコ1:40~45
(マタイ8:2~4、ルカ5:12~14)
イエスは悪霊を追い出し、病を癒された。
1、病と罪、悪霊との関り
「病気」は私達の人生にとって大きな、深刻な課題である。痛みの伴う病は特に。
何故人は病気になるのか。先天性の疾患、ウイルス、細菌、器官の疾患、有害物質、老化、栄養分の不足、生活習慣の悪さ、過労、ストレス 理由を上げたらきりはない。
「彼が私達の患いを身に引き受け、私達の病を背負った(取り去った)イザヤ53:4」。マタイ8:17では、イエスが多くの悪霊につかれた者を解放し、あらゆる病人を癒された出来事をイザヤ書の成就としている。目に見える肉体的な病は、目に見えない霊的な罪の象徴であり、イエスの成された解放・癒しは、ご自身が「罪からの救い」をもたらす救い主であることを示している。病は本人が罪を犯したとか、誰かの罪の為ではない。しかし、人間は罪ある者である故に病にかかり、死ななければならない。病と罪、悪霊の働きには深い関わりがある。
2、ツァラアトについて
イエスの時代に最も社会的な偏見の下に置かれていたのは「ツァラアト、重い皮膚病」。レビ13章~14章。「自分は汚れたものです」と叫んで自分の周りに人が来ないようにしなければならない。町に住めず、社会的に隔離された生活を強いられていた。肉体的苦痛・宗教的苦痛・社会的苦痛・経済的苦痛。
1871年、ハンセンによって、細菌学から診断できるようになり、原因はらい菌によるものと判明。神に打たれた者(俗説)、穢れた者に終止符。不治の病であったツァラアトに、特効薬(プロシン、1947)が開発される。
3、ツァラアトをきよめるイエス
ツァラアトに冒されている人はイエスを見て 顔を地に伏せて願って言った「主よ、お心一つで、わたしをきよめることがおできになります」。
皆の見ている前で、主は驚くべき事をされる。
イエスは手を伸ばして、彼にさわって言われた「わたしの心だ。きよくなれ」。すると、すぐに、そのツァラアトが消えた。そして、祭司に見せ、ツァラアトがなおったことを証明しなさい。
ツァラアトは決して穢れた病気ではない。しかし、主イエスは、人間の最も穢れたところに、誰も見たくない、触れたくないところに、御手を伸ばして、触れて下さる。人を穢し、肉親を引き離し、友人を失い、人々を遠ざけるのは、ツァラアトではない。私達の内にある罪ではないか。肉の働きは明白である。(ガラテヤ5:19~、不品行・穢れ・好色 偶像礼拝・まじない 敵意・争い・そねみ・怒り・党派心・分裂・分派・ねたみ 泥酔・宴楽・・・)。罪は私達の内側を腐らせていき、社会をも腐らせていく。そして、ついに永遠の死に至らせる。罪=永遠の死(滅び)に至る病。
ツァラアトをきよめるイエスは、私達の罪をきよめることのできるお方。十字架の傷跡のある聖い愛の御手は、私達を罪からきよめる。
ひれ伏して主に求めよう。「わたしをきよくして下さい」。イエスは手を伸ばして 私にさわって宣言される「わたしの心だ。きよくなれ」。
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