4月19日(日)礼拝説教全文
「夜は月があなたを打たない」 詩篇121:1~8
イギリスの首相ジョンソン氏(55)は新型コロナウイルスに感染し、入院していましたが、退院し、4月13日に動画メッセージを流しました。命が助からない可能性があった自分を救ってくれた医療従事者に感謝の意を述べました。自らが感染者となり集中治療室に入って治療を受けた彼は、最前線で新型ウイルス危機に対応する病院職員「1人1人の勇気」を目の当たりにした、と言いました。「医療従事者は自らを危険な状況に置き、この致命的な新型ウイルスにさらし続けている」「我々の国民保険サービスが打ち負かされずにいるのは、こうした勇気や献身、務め、そして愛情のおかげだ」と述べました。つい先日の一国の首相のコロナ感染体験談です。
今、私達は経験した事のない、世界規模の感染病に直面しています。しかし、恐れず、慌てず、忍耐をもって最善の選択をし、平常心で行動し、この課題を乗り越えていきたいと願っています。
感染の終息を祈りながら、この事態の中にあって、私達は聖書から主の御声に耳を傾けるばかりです。
受難週では主イエスの十字架の出来事を読み、又、先週のイースターでは、「主はよみがえられ、主にお会い出来ます」というメッセージを聞きました。この数週間・数か月間、新型コロナウイルス感染拡大の中にあって、私たち信仰者に何が問われているのか、何が必要なのかを思い巡らしました。
そして示されているのは、「主に信頼せよ」です。今こそ、へりくだって自らが無力な小さい者であることを認めて、「主に信頼する」時なのです。
生活の中での感染予防対策は、手洗い、マスク着用、3つの密を避ける、新型コロナに関する知識、ソーシャル・ディスタンス(人と人との間隔をあける)、人との接触を8割減らす、等が挙げられています。益々コロナ予防に関する知識が増えています。情報を得て、良い選択をするのは大事なことです。良く耳にする「命を守る行動を」というのは、自分の命だけではなく、他者、弱者の命を守る行動が求められています。とても大事なことです。
しかし、今、主の前に身を置く礼拝の時、私達はあれやこれやの考えを全て一旦下ろして、主を見上げて、このお方に信頼する、一心になって主に信頼する時としたいと思うのです。
詩篇121篇のテーマは、「主への信頼」です。120~134篇の15の歌は、「都のぼりの歌」と表題がついています。いくつかはダビデによる、ひとつはソロモンによる、と書いてあるのもあります。121篇はダビデによるとは書いてはありませんが、ダビデの書いたものであるかも知れません。
「都のぼり」 都・エルサレムにある神殿に、巡礼に向かうユダヤ人が、旅をしながらこの歌を歌いました。巡礼に出発し、そして礼拝をささげ、帰途につく。出ると入るとを守り、とこしえに守って下さる主を歌っています。
1、山(:1~2)
「私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか」。
助けを求めている人の歌です。「山」は、実際に詩人が見上げている「山」であると、この詩を解釈する人が多いかも知れません。この続きにある「私の助けは天と地を造られた主から来る」に繋げて、「山」を見て詩人は、その雄大さ、神の創造物の偉大さを感じていると。
しかし、「山」は時として、乗り越えなければならない幾つもの「山」とか、私の前に立ちはだかる大きな「山」、小さな自分には立ち向かえないような強大な敵、また、大きな試練・課題等と読む事もできます。詩の作者が誰かは定かではありませんが、ダビデにとっては、「山(緑生い茂る山でなく岩山)」とは、サウル王が幾度も自分の命を狙って来る、自分の力ではどうにもならない戦いの連続の場所であったと思います。そのような角度からこの詩を読みますと、「わたしは山に向かって目を上げる」という響きが変って来ます。
自分は小さな者です。大きな試練が私に迫っています。主よ、私を守ってください。私たちは人生で何度もそのように祈るでしょう。「私の助けは、どこから来るのだろうか。私の助けは、天と地を造られた主から来る」。
2、足(:3~4)
私たちの足はよろけます。山を登り下りする過酷な道は、心身共に疲れ果てます。いつまでこの登り坂は続くのか。しかし、「主はあなたの足をよろけさせず」、時に支え、時には背負って下さる。そして目覚めている時も、眠っている時にも、主は寝ずの番をして下さる。ダビデにとっては、眠っている時が一番危険な時だったでしょう。ぐっすり眠ることもできません。あれこれ考えて眠れなくもなったでしょう。
「あなたを守る主は、まどろむこともなく、眠ることもない」。人生の3分の1、私達は寝ています。寝る前に、宣言し、主をたたえましょう。「私を守るお方は、まどろむことも眠ることもない」と。
3、太陽、月(:5~8)
121篇はわずか8節の短い歌ですが、「守る(ヘブル語、シャーマルשָׁמַר)」ということばが6回出てきます。繰り返し、主はあなたを守ってくださる、と歌っています。
「主は右の手をおおう陰」(:5)。少し難しい表現ですが、右というのは権威・力を表します。右の手は私達の、成すべき全ての業、働きを示しています。ダビデは王権を遂行するのに、どれほど自分の無力さを感じたことでしょう。息子のアブサロムに反旗を翻された時、都落ちをする時、どれほど無力さを感じたことでしょう。力のない私の右の手。しかし、主は隠れ場を、休み場を用意して下さっている。主が力ある御手でしっかりと覆って下さって、私の右の手に力を与え、勢いを与えて下さる。
「昼は太陽が、夜は月が、あなたを打つことはない」(:6)。日中、太陽が打つというのはなんとなくわかりやすい。照り付ける太陽の暑さ。乾燥地のイスラエルでは、水は貴重な資源、井戸は命に欠かせない場所です。巡礼者にとって、厳しい日差しを避け、日射病にならないことは、旅する上で重要なことだったでしょう。照り続ける太陽の暑さに、私達は渇き切ってしまいます。
「月が打つ」とは何でしょう。本日の説教題にしました。
太陽はエジプトの神、月はバビロン、ペルシャの神という解釈もありますが、「月」はまるで夜の支配者のようです。夜の象徴、「海」もそうですが(黙示録21:1)、死、悲しみ、嘆き、暗闇のシンボルのように語られています。月は時に、目に見えない闇のシンボル、「えやみ、疫病」に譬えられることもあります。詩篇91の「えやみ」(文語)は「疫病み」と書きます。えやみ、疫病、伝染病、感染症。
現在の新型コロナウイルス感染拡大の不安の中で、聖書のみことばから励ましを受けたいとの要請を受けた時、「月はあなたを打たない」というみことばが示されました。
主に信頼して、みことばを信じましょう。神の守りを信じましょう。それが主に対する信頼です。
結び
主はすべての災いからあなたを守られます。そしてあなたの命を守られます。
私達は永遠の都へ向かって歩む巡礼者、旅人です。その旅の間、力強い主の守りがあります。
決してひとりでたどり着くことのできない道のりも、山坂も、主イエスが共に歩いて下さり、守って下さいます。
* いとこが交通事故で首の骨を折ったとの知らせに、「主はあなたのいのちを守られる」のみことばが私に示され、詩121篇のみことばを覚え、携えて名古屋へ向かいました。病室でこのみことばを彼に語り、祈りました。主は、憐れんでくださって、命ばかりか、奇跡的にどこも麻痺することなく癒して下さいました。癒された彼は今、牧師として、与えられた命を主の為に用いています。
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