5月31日(日) ペンテコステ記念礼拝 説教全文
「聖霊に満たされよ」 使徒行伝2:1~4
キリスト教会の三大行事は、クリスマス、イースター、そしてペンテコステです。
日本ではクリスマスは誰もが知っています。最近ではイースターも有名になりましたが、ペンテコステを知る人は少ないかと思います。ペンテコステって何ですかと、たまにクリスチャンの方にも聞かれます。
簡単にいうと、学校や、企業などにも創立記念日というものがあるように、世界で初めてキリスト教会が誕生、創立した日です。エルサレムで、120名ばかりの人々が集まって、初代キリスト教会が誕生、スタートしました。
ペンテコステという言葉の意味は、ギリシア語で、50日目という意味です。何から数えて50日目かと言いますと、ユダヤの最大のお祭り、過ぎ越しの祭りから50日目となります。その規定は、レビ23:16に書かれています。過ぎ越しの安息日の翌日すなわち日曜日から、7週間後の日曜日です。イエスの復活された日曜日から50日目の日曜日となります。この日、イスラエルでは収穫感謝祭「初穂の日」を祝い、大麦の収穫の初穂を捧げます。
*過ぎ越しの祭=出エジプトを記念したイスラエルの祭。
しかし、ペンテコステはただの記念日ではなく、大事なのは、イエスの約束を信じ、集まり、祈っていた人々に、聖霊が注がれた日であることを忘れてはなりません。
その日を記念するのも、また、その意味を知るのも大事ですが、知識や、理解にとどまらず、私たちが聖霊をイエスから受け、満たされること、経験することが大事です。今日、聖霊の注ぎ、満たしを受けることがペンテコステの礼拝にふさわしいのです。
1、 聖霊とは何でしょう。「何」というより、「どういうお方でしょう」と問うのが正解です。聖霊は神です。お方ですから聖霊様と呼んで良いと思います。
私たちは毎週の礼拝の信仰告白の中で、「我は信ず」と告白しています。父なる神、御子イエス・キリスト、聖霊を信ず、と告白しています。三にして一、三位一体の唯一の神を私たちは信じています。礼拝の最後の祝祷の中でも「主イエス・キリストの恵み、父なる神の御愛、聖霊の親しき御交わりが、御前に集う一同の上に」、と祈ります。
* 三位一体とはどういう意味ですか。私たちはまず、神様の全てを知ることはできません。測り知れないお方である故に信じます。人が全て捉えることのできるものは既に神ではありません。そのうえで三位一体を説明するならば、たとえば、三つ葉のクローバーの葉のような、命・愛で繋がっておられるお方です。一枚の葉でクローバーとは言いません。三枚揃って1本のクローバーです。
復活されたイエスは弟子たちにこのように言われました「わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい」(ルカ24:49)。
120名程の人が、イエスの約束を信じて、エルサレムにとどまり、約束の実現を待って祈っていました。ユダを除くイエスの11人の弟子、イエスに従った女たち、イエスの母マリヤ、イエスの兄弟たち、とそのメンバーが書かれています(使徒行伝1:13~14)。そして、使徒行伝2章。時が来て、一同は聖霊に満たされました。
もう一度、この箇所を読んでみましょう。ここにキリスト教会が誕生し、キリスト教会の働き(それは聖霊による働き)が世界に向けてスタートします。
2、私が、教会が、聖霊に満たされると、どんな変化が起こるでしょうか。
・聖霊は(宣教の)力を与えます。キリスト者として生きる力を与えます。聖霊の満たしなしに、キリスト者はキリストの証人として力強く生きることはできません。
・聖霊は使命・ビジョン(夢・幻)を与えます。それは生きる指針、神から与えられる使命です。
・聖霊は喜びを与えます。それは神と、イエスと共にある喜びです。
・聖霊は私たちに新しい心を造ります。それは神を崇め、尊び、礼拝する心です。神を愛し、自分を愛し、人を愛する心です。
聖霊は神の愛、聖霊は慰め主、聖霊は真理の(みことばの)啓示者、聖霊は導き手、聖霊は交わり(コイノニア)の付与者、聖霊は普遍(人となられたキリストは時代も位置も限定)、聖霊は霊的改革者、聖霊は信仰告白の執り成し手、聖霊は祈りの執り成し手、聖霊はキリストのバプテスマ、聖霊はキリストの御霊(イエスのおこころを共有させる)…そして、聖霊は「よみがえり、生きておられるイエス・キリスト」を知らせる最も大きな助け主です。
今は聖霊の時代です。神を知らない私たちに、父なる神をあらわされたのがイエスであるなら、イエスをあらわすお方が聖霊です。聖霊は何にも優って、〈イエスが生ける神の御子、救い主であり、世の終わりまでいつも私と共にいてくださる主である〉ことをあらわしてくださいます。
イエスが、ご自身がほめたたえられるよりも、父なる神がほめたたえられることを喜ばれたように、聖霊は、ご自身がほめたたえられるよりも、御子イエス・キリストがほめたたえられることを喜ばれるお方です。
「風」のようなお方で、主イエスの名を呼び求めるところに吹きます。
3、どのようにするなら、私たちは聖霊を受けることができるのでしょう。
主の名による交わりの中にいることです。一人では教会とは言いません。一同が集まり、心を合わせ、主の約束を信じ、待ち望み(求め)祈っているところに聖霊は注がれました。
心を合わせる。集まる。主の約束を信じる。聖霊を待ち望む。祈り求める。これらは教会の本質です。
今、集まることはできませんが、同じ時間に、同じ賛美を歌い、同じみことばを開いているのには意味があります。それは私たちが心を合わせて主の前に出ている時だからです。
「求めなさい、そうすれば与えられます…天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう」(ルカ11:9~13)。
神がくださる最高の贈り物、賜物―それは、聖霊様です。
何よりも私たちが教会の礼拝で求めるのは、聖霊の満たしです。聖霊によって、みことばによって新しい心を造っていただくことです。
私が説教者として牧師として、そして何よりキリスト者として、ただ求めるのは、聖霊に満たされることです。
ホーリネス(潔めの恵み)とは、キリストの大使として生きる力を与える、聖霊に満たされて歩む生き方です。
私達はいつも、イエスがくださる聖霊に満たされることを求める集団でありたいと願っています。
その経験をいただいて、以後継続して、日々新しく聖霊に満たしていただきましょう。
生まれるのは一度、生きるのは継続です。救いの経験は一度です。しかし、潔めの経験、聖霊に満たされる経験は、一度目、そしてその後も、何度も何度も続きます。日々、御霊に満たされて歩み続けましょう。
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