6月7日(日)礼拝説教全文
「恐れるな、ただ信じなさい」 マルコ5:35~43
(並行箇所 マタイ9:18~26 ルカ 8:41~56)…比較してみると全く同じではない。
人はそのことばと行いによって、どのような人物か判断できます。何を語り、何を成したのか。
イエスの公生涯は、イエスの権威ある教えと、力ある業に満ちていました。
この世に「神の国」をもたらされた、神の国の主権者イエス。このテーマで私たちはマルコによる福音書を読み進んでいます。
神の御子がこの世界に来て下さり、神の国が到来した。そして、今も力強い神の国の主権者イエスのことばと、みわざが、私たちと共にあります。2000年前に数々のみわざを現して下さった同じイエスが、私の人生にも素晴らしい恵みを現して下さいます。
神の国(王国)とは、神の支配(Kingdom of God)を意味します。
それは、あらゆる私たちの世界の領域に及びます。自然界に(嵐を静める)、霊の目に見えない世界に(多くの悪霊を追い出す)、あらゆる患い・病気に(病を癒す)、そして「死」に対してもその支配が及びます。このイエスが、この世界に生きて歩まれる。イスラエルの特定の場所だけではなく、聖霊によって、イエスを信じる者がいる全世界のどこでも。
ここ(マルコ5章後半)では、群衆が押し寄せてイエスと弟子たちがなかなか前に進めない様子が書かれています。又、長血を患った女の出来事もあって、どんどん時間が過ぎてしまう。急がなければならないのになかなか前に進めない。焦りといらだちの中、刻々と時間だけが過ぎていく中に、一報が届きます。
「お嬢さんがなくなられました。なぜ、このうえ先生を煩わすことがありましょう。」(:35)
この言葉の意味するものは何か
① もう手遅れです。
② 死んでしまったら どうにもなりません。
③ イエス様に来ていただいても どうにもなりません。
会堂管理者ヤイロはその知らせを聞いて、どのような思いになったでしょうか。
当初は(:22~23節)、イエスの足元にひれ伏して、一生懸命に願い、懇願する、娘の父ヤイロの姿がありました。なり振り構わず、立場もプライドもかなぐり捨てて、一心に主イエスに願ったヤイロ。それは、ただ愛する愛娘のためでした。それもむなしく、この知らせはヤイロにとって、目の前が真っ暗になったような思いにしたのではないでしょうか。
私たちも人生で、何度かそのような経験をします。
・どうすることもできない事態。遅すぎました。取り返しがつきません。望みがありません。やり直しができません。
・一縷の望みが断たれるという経験。どんなに厳しい状況でも、命があれば望みはあるかも知れない、助かるかも知れない。しかし、娘は死んでしまった。
これまでに読んで来ました、人の手の及ばない第四番目の絶望、死です。
今日、イエスのことばに耳を傾けてください。
望みが完全に断たれたという、人が絶望している真中に、イエスは立たれ、宣言されます。
「恐れないで、ただ信じなさい(信じていなさい・信じ続けなさい―新改訳聖書欄外注)。」
ただ主イエスを信じる。そこに全ての解決の道があります。イエスにある者には、手遅れ、絶望という文字はありません。イエスは、人がどうすることもできない「死」という現実・苦悩にある時、その真中に立って、「命」を宣言される唯一のお方です。
「ただ信じなさい。」それは、なんでもいいから信じなさいという意味ではない。
イエスを信頼しなさい。イエスを信じなさい。イエスに頼りなさい。イエスに望みを持ちなさい(置きなさい)という意味です。主イエス・キリストこそが私たちの望みです。
私達に必要なのは、そのような時、又、どのような時にも、「死」にも打ち勝つイエスに望みを置き続けることなのです。イエスへの信頼こそが、私達と主イエスとを結ぶもの、私たちの信仰です。
イエスの一行はいよいよ会堂司ヤイロの家に到着します。そこには 「人々が取り乱し、大声で泣いたり、わめいたりしている」姿があります。泣き女と言われる女たち(仕事として悲しみを誘う女たち)と、共に本当に悲しみにくれる人々でした。
そのような悲しみの喧騒の中にあって、ヤイロの耳に、心に静かに響いていたであろう言葉が、イエスの語られたおことば、「恐れないで、ただ信じていなさい」でした。
イエスは、最少の人数を選んで(娘の父母、ペテロ、ヨハネ、ヤコブ⦅ルカによる福音書⦆)、部屋に入られます。そして、少女の手を取って「タリタ、クミ」(アラム語=マルコによる福音書だけの記述.)、すなわち、「少女よ、起きなさい」と言われます。
「タリタ・クミ」これは、死に定められた私たちも、やがてイエスからかけていただくおことばです。
主イエスを信じる者は、たとい死んでも生きます。(参照 ヨハネ11:25)
「すると、」少女は「すぐさま」(この言葉はマルコによる福音書独特の表現法のKEY WORD)起き上がり、歩き始めた。十二歳にもなっていたからである。計らずも長血を患った女の闘病歳月も12年。
イエスが言われた2つのこと
① この出来事を誰にも知らせないように 厳しくお命じになった。
② 少女に食事をさせるように言われた。
* ただ信ぜよ、ただ信ぜよ、信ずる者は誰もみな救われん! イエスの名を呼び求める者は、誰でも救われます。「ただ信ぜよ」は、ホーリネス教団の開設当時のキャッチフレーズのようなみことばでもあった。
当時、学識のない愚かな人々だと、非難されることもあったようですが、最も強いのは、人の知識・力ではなく、「ただ主イエスを信じる」信仰による力です。ここに救いが、癒しが、解放があります。
「恐れないで、ただ信じなさい。」このみことばで、幾度となく私たちは救いを受けます。
主イエスが私にそうおっしゃってくださるのですから。
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