6月28日(日)礼拝説教全文

「殉教者バプテスマのヨハネ」 マルコ6:14~29

(並行箇所:マタイ14:1~12 ルカ9:7~9)

 本日の聖書の登場人物:バプテスマのヨハネ、国主ヘロデ、ヘロデヤ、ヘロデヤの娘(サロメ)。

これまで、マルコによる福音書からイエスのことばと行いを読んできましたが、挿入されるようにしてバプテスマのヨハネの死が記されています。イエスの働き、評判の拡大に従って、交代するかのようにバプテスマのヨハネの働き、使命が終わって行きます。バプテスマのヨハネの死、そしてその死の事情が書かれています。「私は救い主ではなく、『声(証言者)』である」としていたヨハネの徹底した姿を見ていきましょう。

ヨハネが捕えられ(1:14)、(投獄期間約1年?)、そして彼の死後、代わってイエスの名が知れ渡ると、人々は「バプテスマのヨハネが死人の中からよみがえったのだ」と言い、ヘロデ王も「私が首をはねたあのヨハネが生き返ったのだと」言いました(6:14~16)。バプテスマのヨハネの働きは、イエスの生涯にとても大事な位置を占めています。イエスの生涯を記す4つの福音書全てにバプテスマのヨハネの記事が記されています。

バプテスマのヨハネについて

彼の使命の第一は、「荒野に呼ばわる者の声がする。主の道を整えよ」(イザヤ40:3)の預言にあるように、イエスの来られる道を備える人物、旧約と新約を結ぶ最後の預言者でした。彼はイエスを指さし、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネ1:29)と証言する者であり、又、イエスに洗礼を授け、イエスの公生涯のスタートに重要な役目を担った人でした。

第二は、罪の赦しの為の「悔い改めのバプテスマ」を説き、ヨルダン川で人々に洗礼を授けていました。自ら、荒野で禁欲生活をし、富・欲・世の快楽から身を遠ざけていた人でした。当時のエッセネ派、クムラン教団に属していたという説もあります。彼のメッセージは聞く者の罪を浮き彫りにし、人々を悔い改めに導きました。

その誕生については詳しくルカによる福音書1章に書かれています。

彼は祭司ゼカリヤとエリサベツ夫婦の晩年の子供(対照的にマリヤは10代でイエスを生んでいる)。父ザカリヤの祭司職の跡継ぎになった様子はない。イエスより半年先に生まれ、イエスにとってはいとこにあたります。母の胎にいる時から聖霊に満たされ、イスラエルの多くの民を神に立ち返らせました。

ヘロデについて (ヘロデ大王の息子 ヘロデ・アンティパス)

父、ヘロデ大王は、自らの権力保持のため、兄弟、妻や息子たちをさえ処刑しました。血塗られた王の一族の道、権力争いの道を息子のヘロデ・アンティパスも進みます。

ヘロデ大王の死後、ユダヤの領地は4分割されました。ガリラヤとぺレヤはヘロデ・アンティパスが領主(国主)として治め、ユダヤ、サマリヤ、イドマヤは領主ヘロデ・アケラオが(しかし失脚後、総督ポンテオ・ピラトによるローマの直轄地となる)、ガリラヤの北東部は国主ヘロデ・ピリポが治め、そして、ユダヤの部分的な一部をサロメ(大王の妹)が受け継ぎます。聖書の中に「ヘロデ」と呼ばれる王が出てきますが、全て同一人物ではありません。ヨハネを殺害したヘロデは、ガリラヤとペレヤの領地を治めていたヘロデ・アンティパスでした。(ルカ3:1にその4分割が記されています)

彼は、ローマの支配下の領主であること、ヘロデ大王の王権を争う中にいること、貴族の後ろ押しが必要なことから、父と同じく権力に固執し、ローマの支配下で実権を持って居なくとも横暴で、自己中心で、見栄を張り、人目を気にする王でした。民衆の評判、ローマの評判、貴族の評判、いつも周りを気にしていた人でした。イエスはヘロデを「狐」と呼びました(ルカ13:32)。狡猾、ずる賢さ、家畜泥棒、臆病な人物像が浮かびます。

ヘロデヤ(ヘロデ大王の孫、ヘロデの兄弟ピリポの妻であった女性)について

ヘロデヤは元々、ヘロデの異母兄弟ピリポの妻でしたが、ヘロデと恋仲になり、彼の元へ行き妻となります。ヘロデヤの娘も母と共にヘロデのもとに行きます。ヘロデは異母兄弟ピリポの妻と娘を奪い取っていました。そのようなヘロデの暴挙に対して、王宮の者も、誰もそれを諫(いさ)める者はいませんでした。

ヘロデヤの娘「サロメ」について 

* オスカー・ワイルドの戯曲「サロメ」、シュトラウスのオペラ「サロメ」が有名。

有名な戯曲の中では、サロメがヨハネ殺害の首謀者のように描かれています。

ヨハネは声を大きくして、このヘロデ王を非難した   レビ20:21

イエスの道備えの使命を果たしたヨハネにとって、どうしてもそのままにしておけない事がありました。それは、ヘロデ王に対するメッセージに込められていました。彼は、ヘロデ王とヘロデヤの非道、罪をまっすぐに非難しました。

* たとえば、現在北朝鮮で、金正恩を非難する人がいたら、その人は投獄され、処刑されるかも知れません。

その王に対する非難にはどれだけの覚悟が必要だったでしょう。地の塩として、忖度なく、世の誤りを正し、曲がったものを真っ直ぐにする、王にさえ進言するバプテスマのヨハネの預言者としての覚悟があります。

ヘロデにとっても、ヘロデヤにとっても、ヨハネは目の上のたんこぶのような存在であったでしょう。

ヘロデヤは自分の罪を指摘されて、夫を侮辱されて、ヨハネを憎み、殺したいと思っていました(19)。

ヘロデは若干違って、ヨハネを正しい聖なる人と知って、彼を恐れ、保護を加えていました(:20)。民衆の評判もあり、牢に入れたまま、その処分を躊躇していました。

そのような時、ヘロデ王が誕生日に設けた祝宴で出来事がありました(:21~28)。

結論

ヨハネの死を通して

バプテスマのヨハネは、首をはねられ、首が盆にのせられ、悲惨な死を遂げました。何故、神の預言者がこのような悲惨な最期を迎えねばならないのでしょう。旧約聖書の預言者たちも、新約聖書のキリストの聖徒たちもそうでした。そして、誰よりも主イエスがそうでした。世にあっては悩みがあります。自分の十字架を負ってイエスに従うその十字架には迫害、苦難も伴います。

しかし、この朝、皆さんに知っていただきたいのは、バプテスマのヨハネは生きているが、ヘロデは死んでいる、ということです。神の前にまっすぐに生きた人と、自らの権力と欲に迷った人の対照的な姿です。

皆さん、神の御前に生きた、命のある人生を歩みましょう。

確かに私達は、やすらかな死を迎えたい。ああ、これぞ神に祝福された者の最後だと言われるような穏やかな死を迎えたい。しかし、大事なのはむしろ、ヘロデとバプテスマのヨハネの記事を読み、穏やかな死を望むよりむしろ、「神の前にどのように生きたのか」を求めましょう。

「荒野に呼ばわる者の声」に徹したバプテスマのヨハネは首を切られたが、神のもとに勝利の凱旋をしました。ヘロデは後に王権を失って、ヘロデヤと共にユダヤからの追放者となります。

竹田広志's Ownd

千葉県八千代市勝田台7-27-11 電話 0474-84-5045 牧師 竹田広志

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