8月9日(日)礼拝説教全文

「エパタ、開け」 マルコ7:31~37

(並行箇所:マタイ15:29~31、参照:イザヤ35:5~6)

イエスが大事なお話をされる前、また、後に言われる口癖があります。「まことに、まことにあなたがたに告げます」「聞く耳のある者は聞きなさい」。あなたがたにとってとても大事な話なのです、心を開いて、耳を傾けて悟りなさい、という意味のことばです。

イエスはガリラヤ湖を渡らずに、陸地を迂回してデカポリス地方のガリラヤ湖岸に来られました(:31)。ツロ、シドンでの休息を終えて、宣教の働きはすぐに再開されました。

1、救い主の根拠

大勢の人の群れがいつもイエスのみもとに集まり(マルコ8:1)、また病の中にあるたくさんの人がみもとに連れて来られました(マタイ15:30)。それは、口のきけない人たち、手足の曲がった人たち、足の不自由な人たち、目の見えない人たちでした。様々な病で体が不自由な人々が集まって来る中で、特にマルコによる福音書では、耳が聞こえず、ものが言えない人の癒しの記事が詳しく取り上げられています。

イザヤ35章の預言には、キリスト(メシヤ)が来られるその日、「彼らは主の栄光、神の威光を見る」(イザヤ35:2)、「そのとき、目の見えない者の目は開かれ、耳の聞こえない者の耳は開かれる。そのとき、足の萎えた者は鹿のように飛び跳ね、口のきけない者の舌は喜び歌う」(:5~6)とあります。救い主が来られて何をして下さるのですか――人々の目を開き、耳を開き、足の萎えた者を立たせ、口のきけない者をもの言う者として下さいます。このお方こそが、私たちが待ち望んでいる救い主です!と私たちに明確に伝える預言です。

福音書にはイエスが現してくださった多くの癒しのみわざが記録されています。

目の見えない者の目が開かれた(マタイ9:27~31、12:22、20:29~34、マルコ8:22~26、10:46~52、ルカ18:35~43、ヨハネ9:1~40)。

足の萎えた人が立たせられた(マタイ9:2~7、マルコ2:3~12、ルカ5:18~25、ヨハネ5:1~9)。

耳の聞こえない者、口のきけない者が癒された(マタイ9:32~33、ルカ11:14)。

これについて詳細を記しているのは、マルコのこの箇所のみです。

2、耳、口が開かれる

耳が聞こえず、口がきけないとはどういうことか。

もちろんその言葉の通りではあります。キリスト(救い主)が私たちの人生に来られると何が起こるのか。先ほど申し上げたように、目が見えるようになる、耳が聞こえるようになる、もの言うことができるようになる、しっかりと立って歩くことができるようになります。

しかし、それだけでなく、福音を聞くことができない者の耳が開かれる。福音を語ることができない、賛美も祈りも神にささげることのできない舌が喜び歌い出す、と言うのです。

私たちは生まれながら、見えない、聞こえない、歩けない、話せない者です。しかし、救い主イエスが全てを解決して下さいます。 * 聞く喜びの例 竜ケ崎シオン教会であった出来事

「その両耳に指を差し入れ、それからつばきをして、その人の舌にさわられた」

病むところ、機能していないところに触れてくださるイエス。イエスは、私たちの耳に、口に触れてくださいます。

「そして、天を見上げ、深く嘆息して」

舌のもつれ(束縛されている舌)に対して、解放のための霊的な戦いがあります。

「その人に『エパタ。』(アラム語)すなわち、『開け。』と言われた(宣言された)」

* マルコ5:41 「タリタ・クミ」のように、イエスの言われた印象的なことばは、そのままアラム語で書かれています。(「少女よ、起きなさい」という意味)

「すると彼の耳が開き、舌のもつれもすぐに解け、はっきりと話せるようになった」

耳は完全に開かれ、舌も完全に束縛から解放されました。

3、開かれた者の喜び

イエスはこのことを誰にも言ってはならない、と言われます。この出来事は、その人だけを群衆の中から連れ出して行われました。人々の面前でされたことではありませんでした(:33)。

「誰にも言ってはならない。」しかし、彼は口止めされればされるほど、かえって言いふらしました。

新改訳「言いふらした」→新改訳2017・協会共同訳・新共同訳「言い広めた」

この出来事を、誰かに言う事を禁じられたのに、彼がそれに従わなかったのは、良い事なのか、良くなかった事なのか。新改訳聖書だけが、黙っていなかったことが良くなかったように解釈されています。しかし、イエスのしるし(奇跡)のお陰で、癒され、解放され、救われた人が自分に起こった出来事を隠していられるでしょうか。主はご自身の評判が広がることをいつも制限されておられますが、救われた者は黙っていられないでしょう。

喜ばずにおれない。賛美せずにおれない。感謝せずにおれない!それが救われた者の姿、生き方です。

イエスによって解かれた舌は、黙っていられないのです。

そして、人々は彼の口からイエスのなされたことを聞きました。

人々は非常に驚いて言いました、「この方のなさったことはみなすばらしい!」

私たちのイエスとの出会いが、周りの人々に驚きとなり、神の栄光がほめたたえられるようになりますように。

イエスのことば、聖書のことばを聞く耳が開かれ、

神の恵みの素晴らしさを語ることのできない束縛にあった舌が解放され、

イエスの救いと癒しによって開放された者が、素晴らしい神のみわざを告げ知らせることが出来ますように。

私たちも主イエスと出会うまでは、耳の聞こえない、ものの言えない者でした。

「エパタ!」 私たちは主イエスによって罪の束縛から解放されて、神のみことばを聞き、語る者と変えられたのです。

主イエスの御声を今日も聞きましょう。「エパタ」。

竹田広志's Ownd

千葉県八千代市勝田台7-27-11 電話 0474-84-5045 牧師 竹田広志

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