2月28日(日)礼拝説教全文

「世の終わりの前兆」 マルコ13:1~13

並行箇所:マタイ24:1~14、ルカ21:5~19

聖書協会共同訳見出し 神殿の崩壊を予告する(:1~2) 

           終末の徴(:3~12)

ヘロデ大王によって46年間かけて修復された(ヨハネ2:20)第二神殿。

エルサレム神殿は、最初ソロモンによって栄華の限りを尽くした荘厳なものに建造されました。後、バビロンの占領によって略奪、崩壊。その後、捕囚から帰還したゼルバベルによって再建されますが(第二神殿と呼ばれる)、それは再建されたというには未完成なものでありました。その後、ヘロデ大王が神殿の本格的な再建に取り掛かります。イエスの時代には、再建に取り掛かってから46年もたったというのですから、かなり立派な神殿に修復されていたことがわかります。(現在のエルサレムの神殿跡地に残っている有名な「なげきの壁」は、このヘロデ大王の時代に再建された神殿の現存する壁だと言われています)

イエスの弟子が、神殿の積み上げられた石の大きさ、見事さに感嘆の声をあげます。

しかし、イエスはあらぬことを語られます「この大きな建物に見とれているのか。ここに積みあがった石は、一つ残らず崩れ落ちる。」宮を出て行かれる時に、その神殿の前で言われたことばです。弟子たちはイエスの口を塞ぎたかったでしょう。何ということを言われるのか、と。

以前礼拝で、当時の宗教的指導者と民衆のキリスト理解、メシア理解についてお話ししました。キリストはローマの圧政・支配からユダヤ人を解放し、再びイスラエルに繁栄を与えるダビデのような王であると。しかし、ここでイエスが言われるのはその真逆の内容です。ユダヤ人のアイデンティティ(ユダヤ人がユダヤ人たるもの)は、律法・割礼・神殿礼拝を厳しく守ることでした。それが彼らの誇りでした。それらを汚し、壊すことばは決して許されません。イエスは、この長い年月をかけて再建してきた神殿は、木っ端みじんに一つも積みあがった石が残らないくらいに壊れると言われたのです。これは西暦70年、イエスがこの話をされてから、わずか40年後に、ローマとユダヤ反乱軍との大規模な戦争によって目に見える形となります。イエスの時代、ローマからの解放に期待する人々の心が、そのような風潮に激しく流されていたことがわかります。しかし、イエスが十字架へ向かわれることは、民衆のこころが変わる大きな原因にもなっています。

イエス一行は、エルサレムを出てケデロンの谷を下り、オリーブ山へ行かれました。弟子たちはひそかにイエスに質問します。大きな声では質問できないことです。「お話しください。いつ、そういうことが起こるのでしょう。また、それがみな実現するようなときには、どんな前兆があるのでしょう。」

ここからイエスのことばは、5節~38節まで続きます。このイエスの教えは、「小黙示録」とも呼ばれる、世の終わりについての内容です。神殿崩壊の預言を導入として、終末・世の終わりについて、弟子たちに語られます。

惑わされないように気を付けなさい。 

1、 偽キリスト、偽イエスが現れ、多くの人を惑わす

2、 戦争(や暴動 ルカのみ)と戦争の噂を聞く

3、 方々に地震が起こる

4、 飢饉(や疫病 ルカのみ)が起こる

終末において、偽キリストを見分けるためには、是非知って下さい。再びイエスがこの地に来られる時には、人として世には来られません。世界中の誰もが、はっきりとわかる形で、いなずまが東から来て、西にひらめくように(マタイ24:27)、審判者として、天から下って来られます。どこの国の誰かが、イエスであるということは決してありません。イエスの生まれ変わりだという人もおりません。どんな奇跡を起こす力がある人であっても、キリストではありません。再臨のキリストは、人としてではありません。どんな偉大だと思われる人が、「わたしはキリストだ」と宣言しても、決して惑わされてはいけません。

終末の「その日」は誰も知りません。どんなに大きな戦争が起こっても、地震が起こっても、飢饉や疫病が起こっても、世の終わりが西暦何年の何月何日に起こるという予言・予知・占いと称するものに惑わされてはなりません。キリスト教会の歴史は、終末の日を定めることで、何度も失敗を繰り返してきました。

ただ、私達がイエスの教えを通して知らなければならないのは、それは盗人のように来る(マタイ24:43~44、Ⅰテサロニケ5:2、黙示録16:15)ということです。眠っていてはならない。日常に埋没してはならない。日々の忙しさに心を滅ぼしてはならない。いつと日を定めることはできませんが、それは明日かも知れません。キリスト以後、2000年の歴史の中に、戦争・地震・飢饉・そして疫病は繰り返し起こっています。「世の終わりの前兆」は、私達の信仰を覚醒させます。イエスはすぐに来られる!イエスが前兆といわれるものが起こるたびに、私たちは目を覚まして、主を待ち望むのです。時代が夜であっても昼であっても、私達は主を待ち望みます。「マラナタ!」「主よ、来てください。」

5、 キリスト者は迫害を受けます(:9~1)

あなたがたは議会に引き渡され、会堂で鞭打たれ、総督や王たちの前に立たされます。捕らえられ、引き渡されます。兄弟は兄弟を、父は子を、子は両親を、死に渡します。わたしの名のために、みなの者に憎まれます。

キリスト者にとって、なんと厳しい世の終わりの前兆の預言でしょうか。キリスト者への迫害も歴史の中で、様々な国で何度も繰り返されて来ました。しかし、イエスはそのような中にあっても、恐れるな、雄々しくあれ、と言われます。誰の前に捕らえられ、引き出される時にも、立たされる時にも、大胆に、イエスは救い主である、と福音を宣べ伝えなさいと言われます。こうして、全ての民族に福音は宣べ伝えられていきます。何を話せばよいのかと心配する必要はありません。聖霊様が、今話すべきことばをあなたに与えてくださいます。

どのように証詞すればよいのか、福音を宣べ伝えればいいのか。自分はなんと弱く、知恵のない者、口の重い者なのか。わたしたちは、恐れて、しり込みしてしまいます。相手が迫害する者でなくても、家族や、友人や、親しい者であっても、何を、どのように語ればいいのか分かりません。

しかし、この朝、全ての、福音を宣べ伝えたいと願うキリスト者は、このみことばをいつも心に留めましょう。「自分の示されることを話しなさい。話すのはあなたがたではなく、聖霊です。」信じて、聖霊様に信頼しましょう。宣教の力は、ただ、ただ、聖霊によります。うまく話そうとしなくていいのです。聖霊の導きを仰ぎましょう。

竹田広志's Ownd

千葉県八千代市勝田台7-27-11 電話 0474-84-5045 牧師 竹田広志

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